須弥山ブログ 酒魂日記

2010年8月17日(火) 16:50

日本酒のススメ〜其の五十三!〜  

新入荷日本酒須弥山

こんにちわ須弥山主米納です。



世間様はいよいよ夏休みも折り返し。

夏の甲子園も佳境を迎えようとしております。

って書くと、2010年夏ももう終わりかな〜なんて思ってしまいます。

ただ、まだ残暑が待ってますから、まだまだ厳しい暑さは続きそうです。
皆さんも熱中症には気をつけて、水分はちゃんと摂る様にしましょう。

そんでもって体調を整えて日本酒をガッツリ呑みましょう。





ってな訳で、日本酒のご紹介。










先ずは、✚旭日
これで<じゅうじあさひ>と読みます。
※✚旭日の“✚”は実際はもうちょっと格好がいいのですが一番近い変換の結果これを選びましたので、この表記が合っているかどうかは未確認です。

島根県出雲市今市町にある旭日酒造有限会社さんの日本酒。

旭日酒造さん、初めてですね。
ちょっくら調べてみます。



酒魂日記一口メモ旭日酒造有限

 出雲と聞くだけで、古代史ファンならずともロマン掻き立てられる憧れの地であり、出雲大社をはじめ国引神話や風土記の舞台となった名所旧跡の数は十指に余るほど。 
 
  旭日酒造は駅から3分の商店街の真ん中、高瀬川のほとりに蔵をもつ。
  明治2年(1869)に佐藤家6代目の嘉兵衛が酒造業を開始し、7代目文造は研究熱心で大いに家業を隆盛させたという。明治33年(1900)には日本の片田舎からパリの万国博覧会に出品し、名誉の銅牌を受賞したのである。
 
 当時の酒名は「白雪」。それが何故「じゅうじ旭日」に改名されたかといえば、明治40年に山陰地方巡行の大正天皇(当時は皇太子)に随行した、木戸孝正侍従長への献上酒が「天下一品の美味なり」と賞賛され、日本海海戦勝利を記念した「じゅうじ旭日」の揮毫を受けたことによる。この揮毫は掛軸として家宝になっているというから凄い。  
 
 現当主の佐藤誠一氏は10代目、名の通り温厚誠実な人柄で「じゅうじ旭日」を分析する。「当社の酒は男酒ともいわれ、淡麗タイプが流行する中では、コクのあるしっかりした味わいと後切れのよい喉越しが特長です。封を切った後に味の変化が十分に楽しめるので、日数が経ってからまたおいしくなったという声をよく聞きます」。  

 おろち伝説で知られる斐伊川の伏流水と、自家精米した山田錦や雄町、五百万石にきめ細かなファジー制御の麹ロボットによる麹を加え、出雲杜氏・原田公一さんが指揮する蔵人たちは、入魂の酒造りを行う。  

 出雲杜氏の歴史は古く、全国の神々が酒宴を開いたという佐香の郷の松尾神社では、今も毎年お神酒を醸造しており、酒造安全・五穀豊穰を祈願する10月13日の濁酒祭には彼らも参拝する。毎月13日にも祈念を受け、技術・人格の向上に努めている。  

 一部製品に常温貯蔵を採り入れ、濃醇な地酒を目指してきた蔵元が誇るのは、7代目文造の名に由来する大吟醸「酒文」で、豊かな吟醸香とほのかな甘さ、ほどよいコクに喉越し、切れのよさは正に芸術品だ。
 

 また冷やして飲むのが常識の吟醸酒だが、ぬる燗でも美味しい純米酒「じゅうじ旭日」や、穏やかな純米吟醸酒「出雲だより」の他、丁寧な造りの本醸造「じゅうじ旭日」等が揃っていて、地元を中心に観光客の間でも幅広く浸透している。特に「旭日」のうえに冠せられた「じゅうじ」が珍しく人目を引くようだ。  

 戦後の農地改革で大半の田地を解放したが、わずかに残った所有田で「コシヒカリ」を植え、収穫した米で純米酒を製造したところ、予想以上の出来だったとか。今後も酒造りにかんする様々な研究や新技術の開発に情熱を傾ける「旭日酒造」の前途は、出雲のロマンを背景に洋々として明るい。


<蔵元挨拶>
10代目当主の佐藤誠一でございます。
弊社の酒はコクのあるしっかりとした味わいと、後切れの良い喉越しが特長です。原料から吟味し酒本来の味はできるだけ残すという信念のもと、とことん品質にこだわった酒造りに徹しています。
また長期熟成酒(古酒)の分野にも力を注いでおり、独特の芳醇な味わいのある酒を限定数にて販売しております。
これからも地元出雲でいつまでも愛され親しまれるお酒造りを続けながら、”出雲に十旭日(じゅうじあさひ)あり”と、全国の日本酒ファンにも評価して頂ける品質を目指して参ります

(インターネット関連情報)





ちょいと蔵に行ってきました。
出雲市駅の北側に位置し、どうやら街中にあるようです。





今回ご紹介するのは佐香錦55%精米純米吟醸“生”


呑んでみました。



お〜、香りしっかり。口に含んだ瞬間ハッキリとした酸を感じ取れる。でも味もあって呑み手の面倒見はいいほうです。全体的な印象でいうとズバリ爽やかな吟醸酒、といったところでしょうか。










☆3.75!!!。










次にご紹介するのは雁木
これで<がんぎ>と読みます。

山口県岩国市今津町にある八百新酒造株式会社さんの日本酒。


これまた初めてのご紹介ですね。


八百新酒造、ちょいと調べてみました。



酒魂日記一口メモ八百新酒造株式会社

八百新酒造は明治二十四年、八百屋新三郎によって創業。以来、山口県を代表する清流『錦川』の恩恵を受けて酒造りを続けてきました。

 ところが戦後、昭和30年代に試練の時が訪れます。
上流域に出来たダムにより錦川の流水量が減ったため八百新が位置する河口近くでは満潮時には海水が逆流するようになったのです。
 当然伏流水にも影響し、塩分の混入により八百新の井戸は使用不能に陥りました。敷地内に新しく井戸を打ち抜いたり、脱塩素処理をしたり、様々な対策を講じたものの満足な水質の取得に至らず、一時は酒造りを断念せざるを得ない状況にまで追い込まれました。

 しかし、先人の酒造りにかける情熱はこの逆境を撥ね返しました。
「うちの井戸が使えないのならば他所に良い水を汲みにいこう」
こうしてより良い水を求めて、中流域・上流域へと『水探しの旅』が始まりました。

 水質検査を重ね、応援してくださる様々な方との出会いにも恵まれ、数箇所に素晴らしい水源を確保することができました。

 仕込み水の全量を外部に汲みに行くことは他の蔵ではほとんどする必要のない余分な負担ですが、その分当たり前と思っているものがいかに貴重な存在であるかを再認識することとなりました。
そして、この時われわれは試練を情熱で乗り越えた証として、新しくつくり始めた酒に『錦乃誉』という名を付し、錦川水系の豊かな自然の恵みに対する万感の想いを表したのです。


 
 今津という地は、その名が示す通り、水上交通の拠点として発展した町でした。

 城下町として栄えた現在の西岩国地区と並んで、錦川が二股に分かれて瀬戸内海へと流れ込む一方の河口であり、創業以来八百新酒造の蔵が位置するこの今津川口もまた、岩國藩にゆかりの深い土地である事実を忘れるわけにはいきません。

 今津川の『雁木』と呼ばれた船着場のあった河畔には、藩主をはじめとする岩國藩の要人の宿泊施設である『御茶屋』、藩の物資倉庫として主に米・紙を貯蔵した『御蔵』、等が建ち並び、このため今津は藩の物流基地として、そしてまた商いの町として大いなる繁栄を見ることになったのです。


 維新以降その役割を終えた『御蔵』を新三郎は醤油蔵および酒蔵として蘇らせました。明治の中期に建てられた酒蔵は、一世紀を超えて発酵を司ってきた酵母ばかりでなく歴代の杜氏・蔵人の酒造りに懸ける熱い想いをも染み込ませた梁や土壁を当時のままに残し、今も現役の蔵としてその歴史を積み重ねています。
(インターネット関連情報)




ちょっくら蔵に行ってきました。
文字通り錦川の河口流域に蔵はありました。で、上流を辿っていくと確かにダムが・・・・。
大きな逆境を乗り越えての今があるんですね。




今回ご紹介するのは、山田錦60%精米純米無濾過直汲み生原酒



呑んでみました。



香り良し、味わいは、表示アルコール度数ほど強くは感じずどちらかというと穏やかに。でも味の輪郭はハッキリと構築されており酸も適度にあって、うん、バランス良く呑めます。安心の重酒です。




☆3.97!!!。








そして最後にご紹介するのは、七田
これで<しちだ>と読みます。

佐賀県小城(おぎ)市小城町にある天山酒造株式会社さんの日本酒。

この蔵も初めてのご紹介ですね。


ちょいと調べてみましょう。




酒魂日記一口メモ天山酒造株式会社

<1861年文久元年現在地にて製粉製麺業を始める>
弊社のルーツは水車業です。現在地(佐賀県小城市)で小京都小城の祇園川の清流を利用し、水車業を営み、製粉・製麺業を文久元年(1861年)に開始します。当時、鎖国中の日本が海外へ積極的に目を開き、勝海舟が咸臨丸でアメリカへ初航海を行った頃の事です。
七田家は水車業をして既に地元の造り酒屋からも酒米の精米を引き受けていました。


<1875年同地にて七田利三・ツキ夫妻が酒造業を始める>
明治8年(1875年)、廃業される蔵元から酒造道具のみでなく酒蔵まで購入依頼を強く受けて、初代蔵元となる七田利三はやむなく町内の酒蔵を購入してし まい、この結果、「七田家は造り酒屋をも始めるらしい…」との風評が広まり、酒造業を始めることになったというのは嘘のような本当の話です。
水車業からスタートした製麺事業は大正、昭和と当時最高の製造設備で操業したが、昭和30年代後半で終止符を打ちました。
その中でも、高級素麺はその品質が「日本一」だとの折り紙を関西一の老舗料亭主人からつけられたりしていたと三代目蔵元・七田秀一が満面の笑みをたたえていた。

<1959年 天山酒造株式会社に改組>
三代目蔵元・七田秀一(二代秀一)は農業に造詣深く、酒米の研究にとどまらず終戦直後の21年春に戦後の地方農業の復興を夢見て、農業者のリーダーの育成を志し、私財を投じて、専門の農業大学を創立しました。
農業経営から大学まで創立したほどの農業へのこだわりは酒造りへ活かされ、昭和30年代当時希少であった酒造好適米「雄町」を直接自身の圃場で栽培するなど原料段階から徹底したこだわりの酒蔵経営を行った。


<1971年 四代目蔵元七田直男時 資本金1,8000万円に増資>
四代目蔵元・七田直男は日本の高度成長期(昭和40年代)に日本酒の消費拡大に対応すべく、精米設備の整備や仕込みサイズの変更、瓶詰め設備の近代化などを行った。
また、当時はまだ知られていなかった純米清酒(無添加酒と称していた)も先駆けて醸造し、純粋日本酒協会の会員として「純米酒の普及啓蒙活動」にも積極的に取り組んだ。


<1976年五代目蔵元 七田利秀 代表取締役に就任 現在に至る>
「こだわり」の精神は平成の現在も天山のDNAとして脈々と引き継がれ、「品質第一の酒造り」の姿勢で原料となる酒米栽培からこだわり、契約農家と年に何回も品質向上のための研究会を実施するなど、「酒造りは米づくりから…」との思いは現在の五代目蔵元・七田利秀が経営の理念として掲げる「不易流行」の「不易」の部分である。 (天山酒造HPより)





蔵にもちょっくら行ってきました。
長崎自動車道の北側に位置し、山々に囲まれた長閑な田園地帯といったところでしょうか。今回は長崎自動車道からも見てみました。






今回ご紹介するのは山田錦65%精米麗峰65%精米純米無濾過生


呑んでみました。



おや、これもバランスいいぞ。
七田って、個人的にはもっと濃い酒のイメージを持っていたけど、この酒は味わい、喉越し軽快。多分、酸の手助けもあっての結果だと思います。香りも重たくなく抜けがいい。気負う事無く何杯もいけそうな重酒です。





☆3.95!!!。





















それでは今日も頑張ってましょう!!。











いらっしゃい!!。



























※ミクシィはじめました〜。「吉祥寺 須弥山」で検索!!。
 須弥山コミュニティー、どしどし参加下さ〜い。
更に“twitter”もやっているので皆さんfollowよろしくです。
“shumi1000”で検索GO!。

written by shumisen
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